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ブライアン・ダフィー

  • スペースシャトル「アトランティス」パイロット(STS-45)
  • スペースシャトル「エンデバー」パイロット(STS-57)
  • スペースシャトル「エンデバー」(STS-72)船長
  • スペースシャトル・ディスカバリー号(STS-92)船長
  • ジョンソン宇宙センター副所長
ブライアン・ダフィー
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ブライアン・ダフィー(米空軍大佐、退役)は1985年6月、NASAの宇宙飛行士に選ばれた。スペースシャトルに4回搭乗したベテランで、宇宙滞在時間は975時間を超える。

ダフィーは1992年3月24日、STS-45アトランティスのパイロットとして初めて宇宙に飛び立った。ATLAS-1ミッションでは、軌道上の貨物室に取り付けられたスペースラブパレットに、最初の大気圏応用科学実験装置(ATLAS-1)を搭載した。米国、ベルギー、フランス、ドイツ、日本、オランダ、スイスなど7カ国の12台の観測機器を搭載した非展開型ペイロードは、大気と太陽との相互作用に関する研究を行うために利用された。

エンデバーのパイロットとして、ダフィーは1993年6月21日にケネディ宇宙センターから打ち上げられたSTS-57で宇宙に戻った。STS-57は、クルーが実験を行うための加圧作業スペースを2倍以上に拡張するために設計された加圧実験室拡張モジュール、スペースハブの初飛行であった。その他のミッションのハイライトとしては、エンデバーのロボットアームによる欧州回収キャリアの回収、2名のクルーによる宇宙遊泳、6名のクルー全員が宇宙からクリントン大統領と談笑したことなどが挙げられる。

ダフィーのコマンダーとしての最初のミッションはSTS-72だった。1996年最初のフライトで、エンデバーは1996年1月11日に打ち上げられた。9日間の飛行中、クルーはスペース・フライヤー・ユニット(10ヵ月前に日本から打ち上げ)の回収、OAST-Flyerの展開と回収を行い、国際宇宙ステーションの組み立てに使用される技術の実証と評価のために2回の宇宙遊泳を行った。

ダフィーは次に、2000年10月11日に打ち上げられたSTS-92ディスカバリーを指揮した。13日間にわたる国際宇宙ステーション(ISS)の組み立てフライトで、7名のクルーはディスカバリーのロボットアームを使用してZ1トラスと与圧アダプタ3をISSに取り付け、4回のスペースウォークを実施してこれらの要素を構成した。このISSの拡張により、将来の組み立てミッションへの扉が開かれ、ISSに初めてクルーが常駐する準備が整った。

NASA時代には、数々のスペースシャトル・ミッションでミッション・コントロールの宇宙船通信士(CAPCOM)を務めた。また、ジョンソン宇宙センター(JSC)の副所長(技術担当)および副所長(代理)も務めた。2001年に空軍とNASAを退官。ロッキード・マーチン社で副社長兼アソシエイト・プログラム・マネージャーを務めた。

現在、オービタルATK社で副社長兼JSCプログラム・マネージャーを務めるダフィーは、宇宙へのさらなるフライトに関心を寄せている。