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ジョン・M・ファビアン

  • スペースシャトル・チャレンジャー号(STS-7)ミッションスペシャリスト
スペースシャトルの模型とNASAの公式シールが貼られた旗の前で、青いフライトスーツに身を包んだジョン・フェビアン宇宙飛行士のヘッドショット。
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略歴:1939年1月28日、テキサス州グースクリーク生まれ。ワシントン州スポケーンの元ドナ・ケイ・ブボルツと結婚。成人した2人の子供がいる。趣味はスキー、切手収集、ジョギング。

学歴:1957年にワシントン州プルマンのプルマン高校を卒業。1962年にワシントン州立大学で機械工学の理学士号、1964年に空軍工科大学で航空宇宙工学の理学修士号、1974年にワシントン大学で航空学と宇宙工学の博士号を取得。

団体米国航空宇宙学会アソシエート・フェロー、米国宇宙学会フェロー、宇宙探検家協会会長、国際宇宙航行アカデミー通信会員。

特別栄誉空軍宇宙飛行士の翼、NASA宇宙飛行メダル(オークリーフ・クラスター1個付き)、国際航空連盟コマロフ・ディプロマ、空軍功労勲章、国防功労勲章レジオン・オブ・メリット、国防功労勲章、フランス・レジオン・ドヌール勲章、サウジアラビア国王アブドゥル・アジズ勲章、航空メダル(オークリーフ・クラスター2個付き)、空軍表彰メダル;ワシントン州立大学スローン工学賞(1961年)、航空訓練司令部学術訓練賞(1966年)、飛行隊士官学校司令官トロフィー(1968年)、飛行隊士官学校参謀長賞(1968年)、ワシントン州立大学特別卒業生賞(1983年)、ワシントン州人道奉仕賞(1983年)、特別卒業生賞(1985年)、功労勲章(1987年)、ファイ・シグマ・カッパ。

経験ワシントン州立大学空軍ROTCの学生であったフェビアンは、1962年に卒業と同時に徴兵された。オハイオ州ライト・パターソン空軍基地の空軍技術研究所に配属された後、テキサス州ケリー空軍基地のサン・アントニオ航空資材地区サービス・エンジニアリング部門で航空技術者として勤務。その後、アリゾナ州ウィリアムズ空軍基地で飛行訓練を受け、ミシガン州ワーツミス空軍基地でKC-135パイロットとして5年間勤務。東南アジアで90回の戦闘任務に就いた。その後、ワシントン大学大学院を経て、コロラド州の空軍士官学校で4年間、航空学部の教員を務めた。ジェット機での3,400時間を含む4,000時間の飛行経験を持つ。

NASAでの経験1978年1月にNASAの宇宙飛行士候補者に選ばれ、1979年8月に宇宙飛行士となる。その後数年間、カナダ遠隔操作システムの開発など、衛星の展開・回収活動に幅広く携わる。回の宇宙飛行を経験し、宇宙滞在時間は316時間を超える。STS-7(1983年6月18日~24日)とSTS-51G(1985年6月17日~24日)ではミッション・スペシャリストを務めた。次の飛行は1986年5月のSTS-61G。このフライトは、チャレンジャー号の事故を受けてNASAが延期したフライトのひとつであった。ファビアンは1986年1月1日にNASAを去り、米空軍本部の計画・作戦担当参謀次長兼宇宙部長に就任した。1987年6月に退官し、バージニア州アーリントンの非営利航空宇宙専門サービス会社、アナリティック・サービス社(ANSER)に入社。

宇宙飛行の経験フェビアンがミッション・スペシャリストとして初めて飛行したのは、1983年6月18日にフロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられたSTS-7だった。このミッションは、オービター「チャレンジャー」の2回目の飛行であり、5人のクルーによる初のミッションであった。このミッションでクルーは、カナダ(ANIK C-2)とインドネシア(PALAPA B-1)向けの衛星を展開し、カナダ製のリモート・マニピュレーター・システム(RMS)を操作してシャトル・パレット衛星(SPAS-01)の初の展開・回収訓練を行い、オービターとフリー・フライング衛星(SPAS-01)との初の編隊飛行を実施し、初の米独共同材料探査機を搭載・運用した。1983年6月24日にカリフォルニア州エドワーズ空軍基地に着陸するまでのミッション時間は147時間であった。

2回目のミッションでフェビアンは、1985年6月17日にフロリダのケネディ宇宙センターから打ち上げられたSTS 51-Gに搭乗し、約170時間の宇宙飛行を終えて6月24日にカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地に着陸した。この国際クルーは、メキシコ(モレロス)、アラブ連盟(アラブサット)、米国(AT&Tテルスター)の通信衛星を配備した。また、リモート・マニピュレータ・システム(RMS)を使用し、スペースシャトルから分離した状態で17時間のX線天文実験を行ったSPARTAN衛星の展開と回収を行った。さらに、クルーは自動方向性凝固炉(ADSF)、6機のゲッタウェイ・スペシャルを作動させ、生物医学実験に参加し、戦略防衛構想の一環としてレーザー追跡実験を行った。